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幸せを呼ぶ「ARIGATOパワー」

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東京オリンピックの閉会式が終わり、電光掲示板に「ARIGATO」が映し出された。

1964年の東京五輪の閉会式では「SAYONARA」が映し出されたが、その時の文字と同様のフォントが使われたらしい。

少し「ありがとう」について考えてみたい。

「ありがとう」の語源は、「有り難し」から来ているらしい。
「有り難し」とは、「ありえないこと」「存在しえないこと」で、「ありえないこと」を神・仏が起こしてくれた場合に使った言葉という説がある。
神・仏を賞賛する言葉として「ありがとう」「有り難し」が存在したようだ。

そのように見ると、今回のオリンピックの閉会後の「ARIGATO」は、何か深い意味にも感じ取れる。

別の視点から考えてみよう。

「ありがとうの心」が行き交うチームや家族、友人関係には、笑顔や喜び、幸せが満ち溢れている気がする。
お互いに安らぎや安心感が生まれ、チャレンジする勇気も湧いてくる。

「人間を磨く(田坂広志著/光文社新書)」には、次のように綴られている。

ただ、「言葉」だけの感謝であれば、誰でもできる。日々、誰でも行っている。
自分のために何かをしてくれた人を目の前にして、「有り難うございます」と言う光景は、世に溢れている。
しかし、こうした言葉の背後に、本当に「感謝の気持ち」があるかと言えば、ただ「儀礼」として、反射的にそう語っている場合が大半であろう。
しかし、もし、目の前にその人がいないとき、一人、心の中で、その人に感謝できるとすれば、それが「本当の感謝」に他ならない。

田坂さんは、「なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか(田坂広志著/PHP研究所)」でも。次のように語っている。

「人間、本当の強さを身につけていないと、感謝ができない」
しかし、その逆も真実なのです。
「人間、感謝の行を続けていると、心が強くなってくる」
そして、こうした修行を通じて、大切なことに気づきました。
修行に、高度な修行というものはない。
修行とは、日常の生活の中にある、素朴な行のこと。
問われているのは、その修行を続けられるか、否か。
それだけなのです。

日々、感謝の心を大切にしたい、そう思う。

最後に、「生きよう今日も喜んで(平澤興著/致知出版社)」から、一部を紹介しよう。

顔は自分の顔であって、自分だけの顔ではない。人々から見る顔でもある。
全体としていつでも明るい顔は、心に明るさをもっているからである。
明るい顔は、明るい心。明るい心は、やすらぎの心、感謝の心である。
それは人を明るくし、自分の健康を保つためにも一番大事なことである。
習慣的に、明るさを身につけることである。常に明るくあるためには長い修練が必要である。

感謝の心から、一隅を照らせる人に。
できる範囲で、「日常の生活の中にある、素朴な行」につとめたい。